檜のお家と筆文字・HSPママ|彩香

HSPのわたしが楽になった思考

ピアノの伴奏

. わたしがピアノを始めたのは幼児期で、 幼稚園で体験したから?母がピアノを弾いていたから? きっかけは曖昧ですが、 始まりはエレクトーンのグループレッスンでした。 小学校低学年までグループでレッスンを続けて そのあと個人のピアノレッスンに変わりました。 小学校の頃は、ピアノ・そろばん・絵画 バトントワリング・部活動でバスケと 様々な習い事と部活動をしていたのですが、 中学校に入って本格的に部活動を始めたので ピアノはそこで辞めました。 指が大事なピアノとバスケは 両立するのがとても難しかったんです。 部活動を終えて家に帰ってからの宿題・予習・復習、 単純にピアノの練習時間が確保できなくなったことも 理由にあります。 でも、ピアノを弾かなくなることはありませんでした。 中学校でレッスンは辞めてしまったので、実力はなく 独奏を極めることはできなかったのですが、 わたしは、伴奏がとても好きでした。 小学校の高学年から 学芸会や、お別れ会の伴奏を任せてもらっていて、 中学生3年間、高校2年間 合唱コンクールの伴奏者を努めました。 最近、電子ピアノを購入して改めて思ったのですが、 わたしは、伴奏が好きです。 小学校の頃は先生にお願いされて、 中学校・高校は自分で立候補をしての伴奏者。 学年やクラスの伴奏者 プレッシャーはとてつもなく大きいですが、 合奏と伴奏が合わさった時の一体感が本当に好きで、 中高生の時は、震える手を上げて立候補していました。 準備期間がきちんと設けられている ピアノの発表会とは違って、 伴奏は、短い期間で、自分で譜読みをして、練習をして、 合唱の練習段階から弾かなくてはなりません。 それが、その時の自分の実力で出来るのか。 高校生の時、一度だけ立候補をしなかった理由は 自分の実力で期間内に曲を完成させることは出来ない、 と判断したからです。 一番思い入れの強い合奏は、中学最後の合唱コンクール。 担任の先生が音楽の先生ということもあり、 教科書に載っている曲ではなく 先生がみんなに歌ってほしいと持ってきてくれた曲を候補曲に入れ、 いくつかあった候補曲の中から多数決で 先生が持ってきてくれた曲決まりました。 伴奏者の立候補はわたし以外にもう一人。 簡単な楽譜ではなく、わたしにとっては挑戦だったのですが、 ピアノの音だけで クラスみんなが審査員のオーディションをして、 (オーディションまでの期間は1週間くらいだったと思います。体感ですか...) 伴奏者に選んでもらうことができました。 その日から、伴奏者として 日々出来ることを探して、全力で行いました。 指揮者は、わたしの大親友。 休み時間に、担任の先生から音楽室の鍵を借りて グランドピアノで練習をして、 帰り道親友に自宅へ寄ってもらってそのまま練習。 クラスのみんながわかりやすように 曲のイメージを伝えながら強弱の練習をしたり、 時には担任の先生にアドバイスをお願いすることも。 本番は、地元にあるコンサートホール。 この時は、入場曲も弾きました。 (練習が2曲になってつらかった...) 鍵盤に指が触れるまではすごく緊張していたのですが、 みんなが歌い始めたらすぐ緊張が解けて 指揮に合わせながら、みんなの歌声を少しリードして 心の底から楽しんで伴奏を弾くことが出来ました。 その時のみんなの生き生きした表情、 気持ちのこもった歌声、今でも鮮明に覚えています。 その時の空気感はいくつになっても忘れませんね。 久しぶりにこの曲を弾いた時は、泣いてしまったくらい 思い入れのある曲になりました。 わたしの通っていた中学校は、 合唱・伴奏・コンダクターと3つの賞が 学年毎に1クラス・1人ずつ与えられて、 中学最後の合唱コンクールは、 ▫️指揮 最優秀賞 ▫️伴奏 最優秀賞 ▫️合唱 最優秀賞 三冠。 クラスみんなで掴み取った三冠、 あの時の興奮は忘れられません。 ピアノを弾くきっかけをくれて、 レッスンに通わせてくれた両親、 その時その時で伴奏を任せてくれた先生・友人に すごく感謝しています。 今は、 歌声に合わせてピアノを弾くことはなくなったけれど わたしは伴奏が好きなので、 これからも昔を振り返りながら 色々な伴奏曲を弾いていきたいです。 伴奏曲を弾いていると、娘たちがリズムに乗ってくれるので それもまた、今は楽しいです。 .